『すぎかえる』表紙美術館・作品展示室

六月、六日

水石泉

「・・・というわけで、俺は手ぶらでここに来たってわけだ」

長かった俺の話もようやく終わった。時間にして十五分くらい話していただろうか。その間、兼田は一言も口を挟まず、黙って興味深そうに話を聞いていた。

「それで、鞄はどこに行ったんだと思う?」

俺は兼田に訊いてみた。

「ちょっと質問していい?」

「良いよ。何でも訊いてくれ」

「羽山くんが肩をぶつけた子って男子だった?女子だった?」

どうしてそんなことを訊くんだろう?それが鞄の話と関係あるんだろうか?

「女子だったな」

「その子に見覚えはあったんだよね。どこでだか思い出せる?」

それができたら苦労はしない。だが、おぼろげな記憶を漁ってみると、

「そういえば、掃除の後で目が合った奴かもしれない」

「うーん、それ以外では?」

兼田は、それこそが重要なのだ、という表情で訊いてきた。しかし、思い出せない。

「たぶんだけど、今日の昼休みに保健室にいた子じゃないかな?」

兼田は自信ありげにそう言った。確かにそう言われるとそんな気がしてくる。

「ありがとう。じゃあ、考えてみるよ」

微笑みながらそう言うと、兼田はベッドに寝転んで仰向けになった。目を閉じているからまるで寝ているように見える。おそらく今話しかけても兼田には何も聞こえないに違いない。一度何かを考え始めるとこいつの集中力は底なしだった。この状態になると答えがでるまで兼田は死体同然なので、俺は竹内先生と話でもしていることにした。

「なかなかおもしろい話だったよ。うん、最近の中では一番だ」

竹内先生は実に楽しそうだった。この人、ちゃっかり話を聞いてたのか。まぁ、カーテン一枚じゃあ何の防音にもならないだろうが。

「先生は俺の鞄がどこに行ったと思いますか?」

「さぁねぇ。こういうのは私よりあっちのほうがむいてるんじゃないかな?」

先生は親指で兼田のほうを指差した。確かにこういう問題は兼田が得意とする分野だ。今までに何回かこの手の問題を兼田に話してみたが、あいつは必ずといっていいほど正解を導き出してきた。たぶん今回もあっさり答えを出すに違いない。

「わかったぁ!」

いつもの話し声とは比べものにならないくらい大きな声を出して、兼田がベッドから起きてきた。こんなに元気があるなら保健室登校なんてしなくてもよさそうな気もするが、たぶんそんなに簡単なものじゃないんだろう。

「で、俺の鞄はどこにあることになったんだ?」

「もう教室に戻ってると思うよ」

「本当か?」

「たぶんね」

そう言いながらも兼田の顔は自信満々だった。俺の話を聞いただけでどうしてそこまで確信できる答えが出せるんだろう?俺にはさっぱりわからない。それが顔にでていたのか、

「あれ?羽山くん、わかってなかったの?」

「悪かったな。それより、早く教室に行って確かめようじゃないか」

「そうだね」

兼田の答えを疑っているわけではないが、この目で確かめてみるまで納得はできない。

「それじゃあ、ちょっと行ってきます。すぐ戻ってきますから」

「はい、はい。気をつけてな」

竹内先生は割と適当な返事をして自分の仕事に戻っていった。

俺と兼田は連れだって保健室を出た。最初は、保健室から出たくない、と言う兼田をなだめるのに苦労した。無理矢理連れて行くわけにはいかないので、放課後だから人は少ない、とか、もう保健室に来ないぞ、とか脅しながら何とか連れて行くことに成功した。そして、保健室から出ている兼田を初めて見たことに気がついた。ようやく外に連れ出せたってわけだ。俺の目標は兼田が授業に出ることだからまだまだ先は長いが一歩前進といったところか。当の兼田はと言えば、きょろきょろ辺りを見まわしつつ俺の後ろについてきていた。もしかしたら、兼田はこうやって校内の階段を上ることさえ久しぶりなのかもしれなかった。

そして、目的の三年五組に到着すると、俺はすぐに自分の机の上を見た。

そこには兼田の言った通り、俺の鞄があった。

「さて、どうして俺の鞄が姿を消していたのか説明してもらおうか」

保健室に帰ってきた俺と兼田は、今度は備え付けの椅子に座って話をすることにした。俺の横には竹内先生も座っている。仕事は終わったんだろうか?

「そうだねぇ。犯人の名前はわからないけど、鞄を盗んだ人はわかるよ」

「誰だ?」

「羽山くんが放課後に肩をぶつけた人」

その答えを聞いても俺はあまり驚かなかった。あれだけ訊かれれば疑いたくもなる。

「そいつはどうして俺の鞄なんか持っていったんだ?」

「きっと取り戻したい物があったんだろうね」

その回答に俺は少し釈然としなかった。ここに来る前に鞄の中身を確かめてみたが、盗まれた物など一つもなかったからだ。むしろ俺に対する嫌がらせだったんじゃあないだろうか。そう言ってみると、

「だったら鞄は戻ってきてないんじゃないかな」

と返された。確かにその通りだ。嫌がらせが目的だったら、まだ鞄は行方不明だっただろう。

「じゃあ俺の鞄から何を取り戻したんだ?」

「ラブレター」

今度は驚いた。どうしてそんな物が俺の鞄に入っていたと兼田は思うのだろう。

「今日の昼休みは羽山くんも来てたから知ってると思うけど、生徒が竹内先生に相談に来てたでしょ。あの子は昨日も来てたんだよ。そのときの話を偶然聞いちゃってね、どうやってラブレターを渡そうかって話だったんだ。結論としては、机の中に入れておくってことになったんだけどね、実行したタイミングが悪かった」

そこで俺は一旦、兼田の話を止めた。

「もう少し詳しく説明してくれないか。俺は何にもわかってないんだから」

「つまり、ある生徒が羽山くんのクラスの誰かにラブレターを渡そうとしてる話を偶然にも聞いちゃったんだよ」

偶然というのはたぶん本当だろう。こいつは人の話に聞き耳を立てるような奴じゃないしな。それがわかっているのか、竹内先生は何も言わなかった。

「その誰かっていうのは俺のことじゃないのか?」

「もしそうだったら手紙を取り戻したりしないでしょ」

それは確かにその通りだった。別に期待していたわけじゃないが、何となく残念ではある。

「それで、犯人はどうして羽山くんに間違って手紙を出してしまったかというと、タイミングが悪かった。昨日はクラスの席替えだったから。犯人はそれを知らないまま机の中に手紙を入れてしまった。今日、教室を見たときは驚いただろうね。好きな人が昨日とは全然違う席に座っていて、昨日までの席には代わりに羽山くんが座ってるんだから。それで犯人は自分の過ちに気づいた。どうやって手紙を取り戻そうか悩んだだろうね。休み時間ごとに教室に来て様子を窺っていたかもしれない。でも、取り戻すチャンスはなかった。そうこうしているうちに放課後になってしまった。幸いなことに羽山くんが手紙に気づいた様子はない。ということは手紙はまだ机の中にあるということになる。そして、ようやく犯人にチャンスが巡ってきた。羽山くんが席をたってどこかに行こうとしたからね。犯人は羽山くんがトイレに入ったのを確認すると、羽山くんの机の中を覗いた。ところが、机の中は空っぽだった。犯人は焦っただろうけど、机の横に鞄が掛けてあるのに気がついた。もしかしたら鞄の中にあるのかもしれない、と思った犯人は中身を確かめようとしたけど、いつ羽山くんが戻ってくるかわからない。鞄をあさっているときに戻ってこられたら困ると思った犯人は鞄を持っていくことにした。どうせ手紙を見つけるまでの短い間だけだしね。そして、手紙を取り戻した犯人は素直に鞄を返しましたとさ。めでたし、めでたし」

兼田は笑顔で説明を終えた。改めて思うが、どうしてこいつはこんなことを思いつくんだろう。想像力が豊かだ、と言い切ってしまえばそれまでだが、まるで見てきたかのように話されると真犯人はこいつなんじゃないかと邪推してしまう。まぁ、そんなわけないんだろうが。

兼田の話に夢中になって時間がたつのも忘れていたが、気づいたら六時を過ぎていた。とっくに下校時刻を越している。窓の外を見ると、いつの間にか雨は止んでいて、太陽まで出ていた。実に五日ぶりの太陽だった。

「それじゃあ、そろそろ帰るか」

「そうだね。駅まで一緒に行こうか」

俺は自宅から自転車で通学しているが、兼田は電車通学をしている。駅は学校から歩いて三分くらいのところにあった。

先生に挨拶してから俺たちは昇降口に向かった。そこで靴に履き替えると、今度は駐輪場に向かう。それからは、自転車を押しながら兼田の横に並んで駅まで歩いた。その間、俺たちは一言も言葉を交わさなかった。特に珍しいことではない。兼田は保健室から一歩でも外に出ると、途端に大人しくなってしまう。内弁慶みたいなものなんだろう。

駅に着くと、ちょうど電車が来たところだった。慌てて兼田が駆け出す。俺はその背中に向かって声をかけた。

「また明日な」

「うん。また明日ね」

振り向いてそう言うと、兼田は走っていった。

それを見送ると、俺は自転車にまたがってゆっくりとこぎだした。雨上がりの道を自転車で走るのはなかなか爽快だ。夕日に照らされて、道路がきらきらと輝いている。

何気なく見上げた東の空には、大きな虹が架かっていた。

兼田は虹に気づくだろうか?

気づいたらいいな、と俺は思った。そして、また兼田のことを考えている自分を自覚して小さく苦笑した。

とりあえず明日の朝はこの虹の話をしよう。

戻る