中央アルプス極楽平定着 報告書

【メンバー】
CL:野辺、井上、天野、下釜、上野、竹内

【日程】
12月26日~1月3日

12月26日 雪 曇
桧尾登山口(9:10/13:20)赤沢の頭TS

 中央アルプス観光のロープウェーの始点。しらび平行きのバスに乗り途中、桧尾橋で下りる。下りたのはもちろん我々のみ。少し歩くと「桧尾登山口」と書かれた看板のある取付きを見つけ登りはじめる。樹林の中は道もはっきりわかる。道標が多々ある雪は少ない。赤沢の頭付近でひざ~股ぐらいの雪。トップを交代しながらボチボチ歩くとヤレヤレで着く。TSとしては赤沢の頭より1750㍍付近の方が平坦で良い。

12月27日 晴 曇
赤沢の頭(6:20/12:00)桧尾避難小屋

 とりあえず交代のラッセル。要所に赤布を巻きながら進む。雪は常にひざ上くらいはあるが軽い雪で歩き良い。2500㍍付近に2カ所固定ロープのついた細い岩場があるが風もなく難なく通過。そこが森林限界となる。その先はハイ松の上に雪が乗って大変歩きづらい。小屋着は12:00。大変立派な小屋で思わず泊まってしまった。

12月28日 快晴 晴
桧尾避難小屋(7:20/13:20)極楽平

 快晴の中遠く富士の背から陽が登る中出発。食料を1日分デポする。稜線は切れてはいるが、風が弱く危険は感じない。雪は稜線をはずしたり、またコル部では胸まで来たりする。クラストはしていないが総じて岩稜、アイゼンの世界だろう。三ノ沢岳が三角形に見え始めると極楽平。我々は三ノ沢岳への尾根の途中2840㍍にBC設営。竹内さん個装の凧をあげるもすぐ崩壊し背骨は「はし」に変化した。

12月29日 曇 曇

~三ノ沢岳~ 野辺、天野、下釜
BC(7:20/11:30)三ノ沢岳(11:35/13:45)BC

 いよいよ隊を分け出発。一気にコルまで下りる。2676㍍最初の岩稜は左を巻く。以下いやな岩稜はだいたい左をまける。稜線上もラッセルである。その上風もない。振り返ると宝剣や木曽駒が見え、さらに尾根上に自分達のつけたトレースが続く。「悪くない」気分。コルへの下りも問題なし。その先の岩稜帯で左に1ピッチ フィックス。そこからも頂上は遠い。頂上手前のナイフリッジも無風のためノーザイル。ひざまで雪がある。頂上には三角点があり、偽ピークにはだまされないように。帰りはトレースをただひたすらにたどる。途中、下釜がトップ歩きを「直訴」したので行かせる。我々の見た三ノ沢岳はラッセル、無風のものだったが、そうでない姿は・・・と考える今日この頃であった。

~宝剣アタック~ 井上、上野、竹内
BC(7:20/7:30)宝剣南稜取付(7:50/10:35)宝剣山荘(11:05/13:30)BC

 「登攀だ!」という気構えから取付きより6ピッチアンザイレンする。雪はそう多くついておらず岩場の鎖や金具が見つけやすい上とてもしっかりしている。風もそれほどではなく、快適な登攀となる。しかし天候が悪ければやはり記述どおり手強い相手となるだろう。それと南稜の取付きから2ピッチめは高度感がある、ナイフリッジなので要注意。3人パーティーのため時間がかかり、おまけに北稜終了近くからガスが濃くなってきた。よって非常に残念ながら駒ヶ岳アタックは断念する。また視界が悪いため千畳敷の方からの帰幕は考えず、宝剣岳を登り返すことにした。3ピッチフィックスしてBCへ。

12月30日 曇 霧

 沈澱を決めると晴れ間が見えたりしたが天気図通り荒れ始めた。

12月31日 雪

 朝から風が強く南岸低気圧の力は強い。皆停滞にあきている。野辺上野で千畳敷を偵察に行くもほとんど何も見えなかった。今年の紅白は嵐の中、テントの中、シュラフの中。

1月1日 雪 曇 雪
極楽平BC(8:20/12:10)桧尾避難小屋

 食料とこの後の天候、またアタックより尾根の縦走を優先させることにしウェイティング後出発。吹雪の中であったが次第に回復した。小屋までの稜線は問題がない。稜線を少し下るとうその様に風がない。ただし小屋の周りは左右の沢筋から吹き上っており寒い。下釜はかなり疲れている様子であった。

1月2日 雪 霧
桧尾避難小屋(8:50/11:00)2450㍍付近(事故発生)(/14:00)2470㍍付近TS

 外は吹雪であり下釜の調子も思わしくないが下りた方が気分も良くなるだろうと出発。途中年末に降った雪のためラッセルがきつく輪かんじきをつける。固定ロープの岩場は容易に通過。その先の2450㍍で下釜がバランスを崩し稜線からスリップ。沢筋を150㍍程滑って止まる(事故報告参照)。下釜と野辺で稜線に戻った後きょうの行動を止める。

1月3日 快晴 曇
TS(7:20/11:10)桧尾登山口

 久しぶりの朝日が見える。やはり晴れた山は美しい。登山口へはすぐだった。バスに乗り込むとロープウェーで千畳敷に行った登山者で一杯になった。不思議な思い、眠くなった。

冬山合宿を終えて

どんな山行でも事故のあった山行は失敗にすぎない。その点に於いて今山行は失敗であったと言える。また1年生の下釜が傷を負ったということは特にリーダー層の責任は重い。我々は一昨年に遭難事故を起こし反省、対策を経て一周り大きい目で山を見ることができるつもりであったが反省だけでは補いきれない面を持っているのか、または即に薄れてしまっているのか、自問する毎日である。 今回我々は冬山を体験にしに行った。中央アルプスはその美しさ、厳しさを十分に見せてくれたと思う。新しい経験を積めたと思う。これを何かに活かして欲しい。糧にしてほしい。事故を起こした中でこれから何をやるか、これは通り一遍の反省でなく自分も部の歯車の一部だということ、そのことの意味を噛み締める事であると思う。

極楽平 事故報告

神戸大学山岳部は冬山合宿に於いて1年生の下釜の転落事故を起こした。幸い怪我は軽く済んだが一歩間違えば大事故につながっていただろう。この報告は単なる反省書だけの存在としてだけではなく、事故の大小を問わず「絶対やってはならない」ことと雪山にいるかぎり、ある程度の危険は背負っているという意識を常に持っておくための書としたい。

【負傷者】
下釜恭道(山岳部1年生) 右目の下擦過傷、右耳の下打僕傷

【状況】
吹雪の中であったが難場が固定ロープのある細い稜線が2カ所だけまた樹林帯へ入ってしまえばとの思いと、前日身体の不調を訴えた下釜の状態を考慮し、下山との判断をくだす。小屋を始めに出た時は吹雪のため視界がなく一旦小屋に戻る。竹内、上野に桧尾根の確認の偵察をしてもらった後、少し風の収まったのを見計らい再び小屋を出る。年末の雪のため腰まで埋まるラッセルとなった。2640㍍付近で輪かんじきを着け先に進む。固定ロープの稜線は雪のため往時よりも容易に通過した。その時の隊列は先頭から上野、竹内、天野、下釜、井上、野辺であった。(隊とは別に昨夜小屋で一緒だった男性が上野の前にいた)そのまま先に進み最後の崖のある2450㍍付近となる。上野の前にいた男性は図ー1の2を通る。しかし岩の先の段差のため通過が難しそうなので上野は北側に少し斜面を下り、1の様に通過、そして竹内、天野も同様に通過する。その後下釜が稜線上の木を右手でつかみそれを引き寄せるように1を通ろうとする、が木が枯れており下釜は南側のクーロアール内を転落する。

【その後の行動】
11:00 事故発生
下釜は約130㍍滑り傾斜のなくなった地点で止まる。(ピッケル、ワカン、ザックは身体から離れず、メット不着用)
野辺下降、約80㍍下り下釜の無事を確認。上野に伝える。

上野が途中まで下降するが斜面の状態が悪く大量の雪が落ちるため上で待機する様、野辺が指示(トランシーバーその他は不要とした)

野辺、下釜と合流。クーロアールの右の尾根に取付くが時間がかかる。野辺がザックを持ちトップ。

転落現場に竹内を残し他の者は救護体制の準備をする。(他の3人で稜線を少し下った岩かげにツエルトを張り、医療、非常パックを整える)

竹内がビバーグ装備を持ち現場に向かう

野辺が尾根よりコール。竹内との連絡が初めてできる。

13:30 野辺、下釜、稜線着

13:50 竹内がツエルトに戻る

14:00 TS設営

【反省点】
1行動中
a 隊の雰囲気、状態について
ほとんどリーダーシップの責任とされるべきだろう。悪場を通過したことに気の緩み。また細い稜線への認識を全員に把握させていたかと考えると多々有るが基本的には惰性で歩いていることがないよう、メリハリの効いた行動が必要であると思う。

b 前を通過した者への下釜への注意
 前を通過した3人は少なくとも通過時に多少の困難さを感じており下釜に何らかの指示をすべきであった。確かに事故がおこるはずのない状況、状態ではあったが、1回生がそこを通過することの意味をかんがえるべきだった。

c 下釜自身の不注意(下釜文)
 今回の事故に関しその原因としてまず第一に自己の体力管理の不徹底が挙げられる。事故当日までの今山行における自分の状態を振り返ってみると体力、不調の把握がいまく行えていなかったことに気付く。また山行以前に関してもどれだれの体力があるかを把握しそしてそれに対応した体力作りをするといった意識をはっきりと持っていなかったとも言えるだろう。そういった態度が気力の低下また緊張を欠き危険に対する配慮を失うといった状態に自分をおき、結果このような事故をおこす引き金となった。この点について次回の春山山行にあたっては、クラブのトレーニングにくわえて、自主トレも行うことで自己の体力を大学入学以来最高の体力にしてのぞみたい。その際に適当なノルマを設定し、きちっとした体力を準備したいと思う。
 第二に「危険」に対する認識の甘さがあるだろう。事故直前に崖の危険性に気付いていたにも関わらず、特に注意を払うことなく通過しようとしてしまった。これは「危険」というものを自分にふりかかる可能性があるものと考えないで「自分は大丈夫」といったおごりがあったと思う。「登山は多かれ少なかれ危険を伴うものである」といった言葉を標語のようにただ聞き流して本当にその意味を理解していなかったのだ。
 以上、不注意と言うにはあまりにも登山を行う上で基本であることに気付かなかったわけだが、今回の事故はそういった当たり前の、しかし大切な事実を自分に教えてくれたと思える。

2救助に際して
まず反省すべきがCL野辺の行動である。隊に指示を出さず、行動を起こしたことは最たる反省点であった。まず隊に指示を出し行動体系を整え下るべきだったのである。そのため稜線上の残りの者と2時間半も音信不通になってしまった。少なくともトランシーバーの携帯が必要であった。救護体制は良かったと思う。

【終りに】
大なり小なり事故がおこった際は反省を行うが、一番大切なことは反省したことの事実よりそれをどう今後の山行に活かすかである。何が原因だったのか突き詰め、解決の方向が見えたらそれに向かって進むのである。不安があるのならその不安を吹き飛ばす山行計画をたて、山行を成功させることが今の部には必要だ。そのために春山に向けてはできるだけのことをして山に臨みたい。反省したことは体の表面にすべてを出して歩くのではなく深層心理としていざという時に出して欲しい、そういうものだ。