比良縦走(積雪期)報告書

【メンバー】
CL 吉田(1) SL・食糧 岩沢(4) 装備 石丸(1)

【日程】
2月24日(火)~2月28日(土)

文責・吉田周作

2/24(火)曇 アプローチ
18:45(六甲道)21:00(北小松)21:30(登山口)

 天気は今一つぱっとしない。予報では山に入っている間は毎日雨のようである。さらに、雪崩注意報もでていた。六甲道を出発してまもなく岩澤(箸、テントシューズ)・吉田(電池、ライター)が忘れ物をしてることに気付いた。ライターは借りることにして、他のものを京都駅で補充した。北小松駅に到着後、トイレで水を汲んで登山口に向かった。テントを張る予定であったが、登山口には雨宿りができそうなところがあり、テントは張らずにそこで寝ることにした。

2/25(水)雨→曇
6:00(起床)7:00出発(登山口)8:18(ヤケ山)9:40(ヤケオ山)10:40(釈迦岳)11:12(電波塔)12:00(比良ロッジ跡)12:40(八雲観音)

 朝起きると予想どおりの雨だった。石丸がトップで出発した。雪山登山のつもりで来たはずなのだが足元には雪がなく、行動すると暑かった。ヤケ山からヤケオ山に向かう途中で雪が現れ、そしてだんだん雪が増えてきたのでワカンとビーコンをつけた。次郎坊山は直登したが、やぶこぎが大変そうだったので、引き返してトラバースした。比良ロッジ跡に着き、観音様の横にテントを張ることにしたのだが、フライと外張りを間違えて持ってきてしまっていることに気付いた。フライと地面とのすき間を雪で埋め風が入ってくるのを防いだ。また、フライのひもを張りすぎてフライに繋がるひもを切ってしまった。その後、翌日のルート探索を行ったのだが、比良スキー場跡は雪崩の危険があり直登するのは危険そうであったからである。この日は釈迦岳とカラ岳のピーク、比良ロッジ跡などでメンバー全員でコンパス合わせをしたのだが、比良ロッジ跡では苦戦した。

2/26(木)曇り時々晴
5:00(起床)6:40出発(八雲観音)7:35(アイゼン装着)8:20(武奈ヶ岳)9:40(八雲観音)10:10(山上駅跡)11:15(金糞峠)11:35(堂満岳手前の分岐)12:25(南比良峠)13:39(烏谷山)15:30(木戸峠)

  この日は吉田がトップで武奈ヶ岳に向けて出発した。出発して間もなく登山道横の谷に迷い込みそうになり石丸に止められ、尾根伝のルートをとった。その後、雪が硬くなってきたのでアイゼンを装着した。武奈ヶ岳の頂上は木のない不毛なところで、比良山系最高峰にふさわしいところだった。武奈ヶ岳から八雲観音への下山時もアイゼン装着した場所とほぼ同様のところで外した。その後山上駅跡から前山に向かう途中でイン谷口へのルートに迷い込み、尾根伝いに登ると999mの前山に着いた。前山には廃墟があり、ビバーク使えそうであった。堂満岳手前ですでにあまり雪がなかったので、堂満岳は直登せずにトラバースした。トラバースはけっこうやっかいであったが、堂満岳を通過して見返すと南側の斜面にはあまり雪がなかったことからトラバースの選択は間違ってなかったと考えられる。補足として、堂満岳は北側から登る場合は南側の様子がわからない。南比良峠からは石丸がトップを行き果敢に烏谷山と比良岳の斜面を攻めた。到着寸前で若干迷って木戸峠に着きテン場を探し、テントを張った。近くにはスキー場があり音楽が聞こえていた。

2/27(金)雪→曇
5:00(起床)11:00出発(木戸峠)2:00到着〈木戸峠〉

 この日は1日中天気が崩れるという予報通り、朝起きると雪が降っており、下山途中で雪が雨に変わる恐れがある、テント生活の訓練ということで沈殿した。起床後ココアを飲み、食料の節約のため朝食は7:30にずらして寝た。11:30過ぎにスキー場探索に出発し、スキー場の下には何もなかったので、石丸・吉田は山頂にあるスキー場の施設へ向かった。スキー場施設内では、トイレと水を拝借させてもらった。雪山の中のオアシスであった。テントに戻ってからは、血管の色がなぜ緑なのか・鳶はなぜ旋回しているのか・魚編の漢字には何があるのかなどのしょうもない議論をして暇をもてあそんだ。

2/28(土)晴れ
4:00〈起床〉5:50出発(木戸峠)7:00〈小女郎峠〉7:45(ホッケ山)8:40〈霊仙山口手前〉10:55(和爾駅)

 朝起きると満天の星空であった。星が消えだし始めた薄暗い内にアイゼンを装着して出発し圧雪車が作業する横を通り琵琶湖バレイを登って、打見山経て蓬莱山へと向かった。蓬莱山の山頂からは御来光が拝めた。また、琵琶湖に浮かぶ島が雲海に浮かぶ山のようにみえ、あたかもアルプスにいるかのような気分になった。ホッケ山と権現山の間で雪が少なくなってきたので、アイゼンを外した。権現山からの下り道には雪はほとんどなく夏道のようであり軽快に下山したのだが、軽快に下山しすぎたのか霊仙山への道を見逃しまい麓まで降りてしまった。下山後はいつもの京都の王将で打ち上げをしてそれぞれの家路に向かった。