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アイゼン合宿(御岳山)報告書

2002年3月17日-20日(20日に滑落事故発生) 事故報告へ

メンバー CL大西(3)  SL藤原(3)  食料 藤本(2)  装備 尾崎(1)  装備 田中(1) 


3/17  晴時々曇

 御岳ロープウェイ飯森駅(10:00)〜覚明堂(13:40)〜二ノ池BC(14:00)

昨晩,木曽福島駅でステビバ。親切な駅員さんのおかげで,暖かい待合室で寝ることができた。感謝。

バス・ロープウェイを乗り継いで10時,飯森駅を出発。気持ちのいい青空が広がっている。樹林帯を40分ほどで抜け,金剛堂の横を通り,標高2750m付近で,稜線へと上がる。あとは石室山荘・覚明堂を目指しての激坂登り。すぐそばに見えている小屋が,なかなか近づかない。それでも比較的いいペースで13:40には9合目・覚明堂を越え,お鉢の稜線に出る。覚明堂への下り口に赤旗を打ち,二ノ池へ。タンクがたくさん付いた,少し変わった小屋の前にテントを設営する。

3/18  曇時々晴のち吹雪

雪練(6:00-14:00)

終日,雪練を行う。いままで,アイゼン歩行する場面が多く,ツボ足での歩行が少なかったため,ツボ足での歩行にも重点を置く。登下降・トラバース・斜登下降・滑落停止の練習を行った後,アイゼン歩行の練習を行う。大西は高山病でかなり辛く,途中で練習を離脱する。田中も風邪で体調は良くなく,昼過ぎ頃に練習を終了。その後,尾崎・藤原・藤本はスタカットの練習を行う。
夕方から吹雪になる。気温は低くないが,風の音がうるさく,なかなか眠れない。

3/19  曇のち晴

大西・田中:BC(11:55)〜剣ヶ峰(12:30-50)〜BC(13:20)

藤原・藤本・尾崎:BC〜摩利支天〜飛騨頂上〜四ノ池東稜線〜継子岳〜四ノ池西稜線〜飛騨頂上〜摩利支天〜BC

大西は昨日より善くなっているものの,高山病で頭が重い。田中も風邪が治らず,大西・田中は剣ヶ峰ピストンにとどめる。藤原・藤本・尾崎は予定通り,継子ラウンドへ。
大西・田中は昼前,剣ヶ峰へ出発。一ノ池南のコルから稜線へ。大西は若干,高山病の影響が残っている。昼過ぎに快晴の頂上へ。中アが素晴らしい。乗鞍には雲がかかっている。
夜は今日も吹雪。テントポールが曲がるほどの強風で,またあまり眠れなかった。

※3/20・21の行動は事故報告を参照してください。


御岳山 事故報告 文責:大西 良一

1 当日の行動

4:30  起床 快晴だが風が強い

予定では5:30出発。5人全員で継母ピストンの予定だった。

風が強く,6:30まで待機とする。その段階で

1 濁河下山

2 継母ピストンの後,おんたけロープウェイ飯森駅へ下山

3 一ノ池西稜線で強風なら引き返し,濁河下山

以上の三つの案が検討されていた。なお,翌日以降の天候悪化が懸念されていたため,当日中に下山する考えでいた

7:05  大西(3)・藤原(3)・尾崎(1)の3名で出発。一ノ池西稜線で強風なら引き返すことにする。

田中はアイゼンが不調のため,BC待機。藤本もBC待機とする。

7:30  一ノ池を突っ切り,西稜線へ。藤原トップでいく。大西・尾崎には風が強く感じられた。

7:35  藤原の風については問題ない,との判断でコルへと下降開始。大西・尾崎はやや不安を感じるが,なんとか下れると判断し,藤原に従う。地面はほぼ完全にクラストしているが,大西・藤原とも慎重な行動で下れると判断した。

7:40  下り始めて数分後,藤原が一度目の滑落。約10mで停止する。滑落時,大西・尾崎と藤原との間には20〜30mの距離があった。それを見て,大西は尾崎に進行方向右手,北側の比較的滑りにくい場所に移動するように指示。藤原は南側へ斜面上をトラバースを開始した。そのさい,バランスを失い,滑落。腹ばいの状態で足を下にして500mほど滑り,傾斜の緩くなったコル付近で停止。途中,岩で数回バウンドする。滑落のさい,滑落停止の姿勢に入るが,雪面が硬く,傾斜が急であったため,すぐに加速がついたようである。そのときはヘルメットは着用していなかった。大西は尾崎にその場に留まるように指示し,下降を開始する。

7:50  大西が現場に到着。顔面の骨折,および口からの出血を確認。出血量は多くなかった。左足の靴は脱げており,右手のオーバー手袋,左手の全ての手袋は無くなっていたが,ピッケル・ザックは身につけた状態であった。意識はもうろうとしており,救助が必要と判断。大西は風の当たりにくい岩陰に移動させ,無線・携帯電話で救助要請を行うが,通じず。その際,強風のため,無線のアンテナを紛失する。大西は救助要請を依頼するため,上で待機している尾崎のところへ向かう。

8:20  大西が尾崎のところへ到着。尾崎へ携帯から救助要請を行うように依頼。尾崎はBCへ,大西は藤原のところへ戻る。

8:40  尾崎の携帯から110番通報。県警に場所などが詳細が連絡できたのは9時頃。

大西はその頃,藤原のところへ戻るが,時折,立とうとするなどの動きがあったため,ピッケルで体を固定。大西はレスキューシート・シェラフカバーなどを用いて保温を試みるが,強風と藤原の動きのためうまくいかず,大西が風下より抱きかかえて保温。出血はほぼ,おさまっていた。大西の「寒い?」などの問いかけに対し,藤原は「うん」とうなずく程度の意識はある。

10:30  長野県警のヘリコプターが上空に到着。意識の確認などの後,体制を整えて20分後に搬出するとのこと。大西は藤原の保温を続ける。

11:00  ヘリコプターで藤原を搬出。

     大西は一ノ池西稜線に向かう。滑落跡を辿る。滑落点は標高2850m付近かと思われた。

11:40  大西BC着。

     藤本・田中・尾崎は荷物のデポなど,下山の準備を進める。

13:05  大西・藤本・尾崎・田中,下山開始。

15:15  おんたけロープウェイ飯森駅到着。下山。

2 滑落現場の状況について

現場の斜面は,ほぼ全面的にクラストしており,上部はピッケル・アイゼンが十分に効いたものの,藤原が滑落した付近では大変に硬く,アイゼン・ピッケルは十分に効かない状態で,ピッケルがはじかれるようなところもあった。下部のコル付近は傾斜が緩く,雪が表面を薄く覆っており,滑りにくくなっていた。露岩は斜面の上部から中間部にかけて特に多かった。

3 天候について

当日は朝から快晴だったものの,早朝は耐風姿勢をとる必要があるほどの強風,そののちも10時頃まではかなりの強風が吹いていた。その後,風は少し弱まった。気温は朝は氷点下数度,9時から10時頃にはプラスの気温になったものと思われる。

4 アタック装備について

個人装備 : ヘルメット,ハーネスなど登攀具一式,非常・医療パック,シェラフカバー

共同装備 : スノーバー(4),デッドマン(1),無線(1),ツェルト(1),9mm×50mザイル(1

※ バイル・ハンマーは携行していなかった。

※ アイゼンの刃先はとがっているとは言えない状態だった。

※ 事故当時,ヘルメットは着用していなかった。

5 直接の事故原因について

事故の直前,藤原が1度滑落したのを見て,大西が尾崎に滑りにくい場所に移動するように指示した直後,事故が発生した。また,藤原が立っていた付近は傾斜がきつく,雪面もピッケルがはじかれるほど氷化して硬い部分もあった。大西・尾崎と藤原の間には約30m前後の距離があり,下り口より相互間で何の情報交換も行われておらず,大西・尾崎は傾斜が急であることは認識していたが,藤原付近の雪面の硬さについては思いもよらなかった。そのため,大西は藤原に静止するよう,指示を出さなかった。当時,やや強い風が恒常的に北西より吹いており,また,傾斜が急であるにもかかわらず,トラバースのさいも藤原は2点支持で移動しており,これもバランスを崩した原因と思われる。着けていたアイゼンも刃先がとがっているとは言えない状況であった。

その他,事前の検討会ではコルまでの下りについては去年の経験,及び過去の報告書においても特に言及したものが無かったため,地形図より傾斜がきつく,クラストするであろうことが想像されるにもかかわらず全く問題視されなかったこと,当日の下り口における,トップ・藤原の問題ない,との判断や,少し怖さは感じたものの,なんとかなるだろう,と判断し,ザイルの使用やヘルメットの着用についても全く言及しなかったリーダー・大西の安全に対する配慮不足も一因として挙げられる。

6 山岳部の現状

以前より,山行後の反省会でたびたび上がっていながら,改善されなかったことの1つに意思疎通の問題が挙げられる。今回の事故時においても,藤原と他のメンバーとの距離があり,出発後は藤原から大西に一ノ池西稜線からの下り口で行けるかどうかについて,少しの言葉を交わしただけであった。また,藤原はあまり後を振り返らずに進んでしまう傾向にあり,それを止めることができなかったリーダーの大西にも問題がある。その他,去年のアイゼン合宿(御岳)の下山時,覚明堂の下りにおいて,傾斜がきつく,藤本に不安があったため,ザイルを出すよう大西が主張したところ,明石・藤原が時間がかかるとして反対し,結局,藤本を空荷でおろすといったことがあり,この頃より部員間での安全確保に対する認識の相違が出てきた。一方で,明石は昨春,残雪期の空木に新入生を連れて行くことを提案したことに対し,他のメンバーが強硬に反対したこと,11月の富士でのアイゼン合宿に大西・藤本が雪練場には危険ではないかと批判的立場を取ったこと,部会のさいにも危険を避けるばかりで,それを克服するための対策を考えたり,代替案を提示するといった部会ではなかったこと,大西たちが明石に対し,反対の立場に回るさいにも,明石を納得させるに十分な根拠を示せなかったにもかかわらず,そのような立場に立っていたことになどに対し,大きな不満を感じていた。このように,部員相互間でほぼ分裂に近い状況があった。

このような事態に至った原因として,部会やトレーニングの体制に問題があると思われる。部会は週に一回であったが,昨年度あたりから常に欠席者が目立つ状態で,中でもSLの藤原が夜間主コースということもあり,夏頃までは,ほとんどの部会に欠席する,という状況であった。また,部会の中でも大西・明石の間で少しでも話がこじれると感情が入ってしまう,という状況で,仮病を使ってまでも部会を欠席する部員も出るに至った。また,部会についても,藤原があまり出席できないという状況下,ほとんどが大西からのトップダウン型の部会で,リーダー以外の者の積極性に乏しかった。山行前の検討会においても,今回のように以前の山行を踏襲したものについては,前例に頼るのみで自分達の技術水準に合わせた話し合いなどは行われなかった。

部内での役割分担もうまく行っておらず,依頼した雑務が処理されないことも多く,それらをリーダーが処理するなど,上回にかかる負担が大きく,99年度より資料整理もきちんとこなせていない状態であった。

また,トレーニングについては,アイゼンや岩トレなど,技術的なトレーニングは部で行うものの全員が揃うことは少なく,山行回数にも差があり,体力面でのトレーニングは個人練習に頼っていたため,部員相互間で体力面や技術面での認識が十分でない部分もあった。

新入生に対する配慮も不十分な点が見られ,例えばそれまでは八ヶ岳に行っただけで,アイゼン練習は行ったものの,岩トレはしたことの無かった田中が,険しい雪稜を含む大山・剣ヶ峰まで行ったこと,そして,御岳では計画段階では継母に田中が参加する予定だったことなど,基本を無視したステップアップがあり,部会のさいにも,それに対する疑問は投げかけられないなどといったことがあった。

また,今回の山行もこの時期にアイゼン合宿を行った理由としては,大西・藤本が11月のアイゼン合宿に入れなかったこと,今後の残雪期山行を見越してのものではあったが,やはり時期的には年末までに実施しておくべきであり, 1年間を通しての部活動の具体的なビジョンが欠落していたことは否めない。また,アイゼン合宿において,大西が高山病で雪練のほとんどをこなせず,継母でザイルを組む予定だった藤原とは,夏合宿でザイルを組んで以来という状況で,事故時にもヘルメット着用の指示を怠ったこと,下山時にも軽量化を優先し,ザイルをデポしているなど,大西の安全管理に甘さが見られた。

7 リーダーシップの問題

部が上記のような状態に陥った原因に,リーダーシップの不足があり,問題点として,1年間を通しての具体的なビジョンが示せなかったこと,安全についての共通の認識を形成できなかったことが挙げられる。中でも,リーダーシップをとる層である,大西と藤原の間に共通の安全に対する認識がなかったことにより,部内での安全への認識に混乱が生じた。このことが内部分裂に近い状況を生んだ引きがねとなったと考えられる。また,安全に対する認識においても,今回の事故の際もヘルメット未着用であったほか,バイル・ハンマーを重くなることと,おそらく不要なので持って行かない,とする藤原の意見をそのまま大西が採用したこと,アイゼンの爪などの管理徹底を怠ったことなど,甘さが目立った。

そのほかにも経験不足から,大西が明石の案が危険だと感じても,経験や研究不足から十分な理由付けができなかったり,代替案を示すことができず,明石にきつく反論されると感情に走る場面があったこと,藤原がレクチャーや報告書を提出しなかったり,大幅に遅れたりするなど,オープンに話し合える場や材料を提供できなかったリーダー層の責任は重い。


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