神戸大学山岳部 東北・飯豊山縦走 報告書

【メンバー】
 L明石5 尾崎1

【日程】
 2001年10月6日-10日

【主な行程】
 大石ダムー杁差(えぶりさし)岳―門内岳―北股岳―大日岳―飯豊山―川入

報告 明石 直子

明石5はきたぐにで10月5日の夜大阪を出発。
新潟まで飛行機を使う予定だった尾崎1は、伊丹の空港で、手荷物検査で、危険物(EPIカートリッジ)を持っていたため、搭乗できず、夜行電車きたぐにを使う。
夜行きたぐには、連休を控え、乗客で満員。同じアプローチなのに、明石と尾崎が出会ったのは、新潟を通り越して、米坂線・越後下関の駅だった。

10月6日  越後下関〔タクシー15分程度〕大石ダム10:40〜大熊小屋15:00

越後下関駅から大石ダムまでタクシーを使う。大石ダムには公衆電話や駐車場、資料館があった。大石ダム管理施設の前で、タクシーを降りる。目の前に、大石ダム上を横切るコンクリートの道があった。早速、ダムの上を歩いて渡る。ダムを渡ると、トンネルがある。藁でできた蛇「たいしたもん蛇(じゃ?)」が、顔を覗かせており、不気味。トンネル入り口に、照明灯のスイッチがあった。天井につるされた、でかい藁の蛇を見ながら、トンネル内を通過。
道はダムの横をぐるりと巻くように付いている。「ダムに飛び込んで泳いだほうが早く西俣川に到達する」「ダムの上に橋を縦にかけられないのか」などと、無茶苦茶な会話をしながら、ダム横のだらだらと続く巻き道を、ひたすら歩く。
赤い色の滝倉橋を渡る。橋の入り口に登山計画書箱があった。
足下には緑色の水が見える。川の両岸が崖で切れ立っており、崖の上に登山道がついている。滝倉沢を渡ってから一つ目の沢を越えて休憩していると、きのこ採りから帰りの大石に住むというおじさんに出会う。東俣川側の登山道の標識をつけた、と、おっしゃる。訓練で飯豊山にきた大学生が脱水状態で何人も倒れた話や大学ワンゲルの女子大生が登山道から滑落して死亡した話。春に山菜採りに出掛け、滑落して行方不明になった地元の人がいる、などの数々の遭難話を聞く。話を伺い、滑落に十分注意しなくては、と思った。
いくつかの沢を、石を飛び、横切り、進む。
朝降った雨で、土が湿り、また、張り出した木の根で滑り、 明石、尾崎は何度も川側に落ちそうになる。気が抜けない歩きが続く。細い道を通ろうと進むと、笹薮から、蛙がぴょこぴょこと横切り、マムシ〔何匹もいました〕がにょろにょろと横切る。集中していないと落ちそうになるのと、マムシへの恐怖も手伝い、どんどん走る。西俣川にかかる丸太橋を渡り、樹林帯の中をしばらく登ると、青いトタン屋根の小屋が見えてきた。大熊小屋に到着。ブナを見ることが目的、という単独の男の人、沢登りの2人組み、そして私たちの、3組が小屋にお世話になった。単独の男の人が、西俣川沿いのブナ林のすばらしさについて語っている。
どうやら、ブナの木一本の大きさではなく、ある程度の大きさのブナの木がまとまって生きている場所は日本で数少なく、西俣のブナはその点ですばらしいそうだ。言われてみれば、休憩中に、ふと見た西俣川の対岸には、ブナの林が整然としてあった記憶がある。沢登り2人組みは、周辺で採れたらしい籠いっぱいのきのこを使って、きのこスパゲテイ―を作っている。きのこの匂いが小屋いっぱいに広がる。明石・尾崎は守さんからの差し入れである焼酎を飲みながら、サン=テグジュペリ「夜間飛行」や「星の王子様」の話をしていた。すぐ下に川が流れ、木々に囲まれた、とても静かな小屋でした。

10月7日 大熊小屋6:15〜杁差小屋10:55

小屋をあとに、大熊沢にかかる橋を渡り、尾根に取り付く。
黄色や赤、色鮮やかに紅葉した木々のなかを登る。足元には、きのこもたくさん生えている。尾崎1「秋山っぽいですね」と言う。「秋山なんだけど」と明石5は思う。 
黄色い草原のカリヤス平をすぎると、一ノ峰が目の前に大きく見える。一ノ峰、二ノ峰を過ぎ、新六の池で休憩。水面には色づいた木が映っていた。
稜線と同時に杁差小屋へといたる最後の笹道を登る。
杁差小屋には早く着いたので、快適な小屋の中で昼寝。 水場は小屋から南東に伸びる尾根を下り、横の小さな沢の窪地に溜まった水を汲む。きれいなので湧き水と信じることにするが、雨水かもしれない。 杁差岳ピークへ。頂上はガスで展望なし。
尾崎1は権現尾根の方向に進み、池を見てきたそうだ。
夕方、2階建ての杁差小屋は登山者で満杯となる。
昨日大熊小屋でも一緒だった沢登り2人組はまたきのこ料理を作っている。どうやら大熊尾根をのぼりながらきのこを採取したらしい。キムチ鍋やカレーなどいろんな匂いが充満している。明石と尾崎はこの日もまた、焼酎を飲んでいた。

10月8日 杁差小屋5:45〜大石山6:45〜頼母木小屋7:35〜門内岳9:40〜北股岳10:35〜烏帽子岳12:00〜御西岳14:15

朝小屋からでると、強風が吹いていた。台風20号の影響らしい。 寒いので雨具を着る。軍手もはめる。稜線上を歩き始める。
大石山はゆるやかな笹山だった。大石山ピークを降りたあたりで休憩し、杁差岳を眺める。近くではよくわからなかったが、遠くから眺めると杁差はいい山だ。頼母木小屋では水が引かれていた。門内岳、北股岳と登る。北股岳からは大日岳・西大日岳が大きく見え、飯豊本山も見える。大日岳・御西岳も稜線には御西小屋も見えた。北股岳を下り、梅花皮小屋が見える。梅花皮小屋はとてもきれいな小屋だった。トイレは小屋の中にある。烏帽子岳を通過したあたりから、日本海側からと稜線をはさんで反対側の山側からの風が交互に吹いてくるようになる。飛ばされそうな強風のなか歩く。ガスもひどい。
ガスのなか御西小屋目指し歩く。御手洗沢には雪渓が残っていた。ガスのなか御手洗の池で休憩。この山域の池の多さには驚かされる。笹に覆われた天狗岳を下った後、視界不良で巻き道に惑わされるが、コンパスを信じて進むと、突然、ガスの中に小屋が現われる。 水場は御西小屋から御西岳への登山道を進み、南に下る。と、湧き水がざあざあ流れていた。外では強風が吹いている。御西小屋に感謝。新発田の町が見えるこの小屋では、ラジオがまあまあきれいに聞こえる。明石5は天気図をとる。(シベリアに高気圧。日本の東に停滞前線。その真下に台風。明日台風は日本にさらに接近するらしい。)−大日岳はあきらめ、明日は下山、と、外で吹き荒れている風を見つつ、明石5は思う。となりでは、食糧係・尾崎1が小さな鍋(1L程度)で二ュウ麺を作るべく、大量のそうめん(五把)とひとり格闘していた。この夜もまた、焼酎を飲む。あまりに寂しい小屋なので、歌を歌うことに。しかし、歌う歌に明石5は世代の差を感じる。尾崎1はこんな話をし始めた。
「道に迷った登山者が小屋に避難した。登山者は、兎と熊と狐に囲まれて会話をする。兎{これがそのときの傷さ}熊{痛かったろう}狐{痛かったろう}兎{痛かったさ}狐{これがそのときの傷さ}兎{痛かったろう}熊{痛かったろう}狐{痛かったさ}−熊{これがそのときの傷さ}狐{痛かったろう}兎{痛かったろう}熊{痛かったさ}−熊{次は君の番だよ。さあ。}―と、登山者は促され困惑する。はっと、目がさめる。夢だとわかる。あたりを見る。なめした動物の皮が吊ってあり、避難した小屋が、猟師小屋だとわかる。外からは、動物達の笑い声{ヒヒヒヒ}が聞こえた。」
 明石5はこの話を気に入ったが、御西小屋の外で鳴る風の音が、死んだ動物達の声に聞こえて仕方が無かった。

10月9日 御西小屋5:30〜大日岳ピーク6:30着6:50発〜御西小屋7:40着8:20発〜飯豊山9:15着9:30発〜本山小屋9:50〜草履塚10:30〜三国小屋12:10〜川入キャンプ場14:45

朝、小屋の窓から、星が見える。風も止んでいる。
あきらめていただけに、空が晴れて、嬉しい。この晴れ間を逃してはならぬと、おおいそぎで朝食を食べる。
大日アタックのため、小屋をあとにする。雲の間から登ってきた朝日に照らされて、ひととき、大日岳が真っ赤に染まる。紅葉した植物、黄色の草原、緑のチシマザサ。はるかかなたの日本海の青。雲の白、空の青。光が加わって色鮮やかな山だと感じる。登山道の花崗岩のなかには、黒い結晶がたくさん含まれており、道沿いに、太陽の光できらきらと光っている。途中、池を横に見ながら、笹道を登り続ける。大日岳のピークは平らでどこなのかよくわからない。とりあえず、西大日岳、牛首山への分岐にてセルフタイマーで記念撮影する。海が近くに見える。海岸線がくっきりと見える。縦走してきた山々も見える。牛首山への岩稜にもこころひかれる。飯豊はほんとうによい山だと痛感。
来た道を御西小屋へと戻り、下山準備をする。飯豊山のあたりは雲海に包まれていた。雲海を下に見ながら、「雲海の上を歩けそうだ」などとまた無茶な話をしていた。飯豊山神社の鐘を鳴らして、通過。御秘所の岩場は下り数Mで鎖がついている。草履塚にはおきまりのようにわらじが一足落ちていた。水が流れるちいさな沢沿いにしばらく歩くと、切合小屋に到着。小屋近くの水場を見に行く。小屋から西に斜面を下っていくと、突然切れて、下に注意しながら降りると、落ち葉が浮いている水溜りがあった。「永遠の泉ここにあり」と、札があがっていた。
種蒔山、三国小屋へとすすむ。三国小屋が三国岳のピークにあたるようだ。三国岳から剣が峰の岩稜を経て、下山の尾根へと取り掛かる。登山道横の湧き水、峰秀水は、水量が豊富だった。笹平、上十五里、中十五里、下十五里と次々通過し、気が付けば、御沢に着いていた。登山口から10分程度、林道を進むと川入キャンプ場に到着する。今日はキャンプ場にテントを張ることにする。キャンプ場では携帯電話は通じない。公衆電話のある飯豊鉱泉まで40分歩いて行く。お風呂も期待していたのだが、今日はなぜか民宿の人がみんな出かけていないらしい。飯豊鉱泉から約8km先の一ノ木から山都駅へののバスの時刻表で時間を調べてキャンプ場に引き返す。
キャンプ場横の小高い土地では農業機械が動いている。なにを作っているのかは林道からは、見えない。人も何人か作業しているのが見える。林道には農協の車がとまっている。すぐ下の畑では大根が土から白い肌を見せていた。 キャンプ場の炊事場にて食いつぶし大会をする。
夜中、雨が降り始めた。動物避けと思われる鉄砲の音が、林道をはさんで反対側の畑から夜中じゅう、鳴り響いていた。

10月10日 川入キャンプ場5:30〜一ノ木7:10〜山都駅

雨のなか、一ノ木目指して、林道歩きをする。一ノ木の集落が見えてきた。バス停はどこだろうか、と、車道沿いを歩いていると、出勤途中の女の人が車に乗せてくれた。相川の学校の先生で、若い人は便利な都会に出てしまい、生徒数が減っていると言う話を伺う。お父さんが切合小屋の管理をされていたそうで、何度も飯豊山にはのぼったことがあると、おっしゃる。切合小屋の水場がすごい(意外・危険)場所にあった話を明石5がすると、弟さんが学校登山で、切合の水場に水汲みに率先していき、雪渓が上から崩れて落ちてきて、亡くなった話をされる。飯豊山は大事な地域の資源だから、子供達にも登って欲しいと、おっしゃっていた。川入のキャンプ場上の畑では冷涼な気候を好む蕎麦を作っていること、鉄砲は蕎麦好きな熊避けであること、蕎麦で町おこしをしていることを聞くことが出来た。
小屋は地元の人数人で管理しているようで、地元の人にとても愛されている山だと感じた。
山都駅まで車で送って頂いた。

東京まわりで神戸にかえろうと会津若松駅―郡山駅へと順調に乗り継ぐ。郡山から間違えて、東北本線下りに乗ってしまい、福島駅までいってしまう。東京が遠ざかる。関西に住んでいると福島に来ることもまあそうそうないので、福島駅で記念撮影。再び、東京目指して電車を乗り継ぐ。東京から夜行に乗り、次の日神戸に帰ってきました。

―東北は遠い。