神戸大学山岳部 知床縦走(羅臼岳〜知床岬)報告書

【メンバー】
 メンバー L・食糧:明石(5) SL・装備:藤原(3) 装備:小宮(OB) 装備:矢崎OB

【日程】
 2001年8月20日〜9月2日

【主な行程】
 8/20〜23:網走駅買出し―台風通過待ち
 8/24〜25:羅臼岳―知円別岳 縦走
 8/26〜27:東岳―ルシャ山 藪漕ぎ
 8/28   :ルシャ川下降―オホーツク海岸(ヒグマと接近)
 8/29〜31:コタキ川遡行―稜線・藪漕ぎ―知床沼―海岸
 9/1   :観音岩―赤岩―知床岬 海岸歩き
 9/2   :赤岩―(船)―相泊―羅臼

報告 明石 直子

 8/20〜23:
 網走駅買出し―台風通過待ち

8月20日

夜、明石、小宮は、18切符で網走駅に到着する。
先に北海道に来ていた藤原と合流する。網走駅泊。

8月21日

9時に開店する網走のAコープで買出し。網走駅で食糧パッキングとぺミカン作りをする。駅の片隅でぺミカンを作っていると、偶然にも知床岬まで縦走したことがあるという、網走山岳会の男の人に声を掛けられる。藪山ゆえ、「水の確保」と「虫」が勝負所だ、というアドバイスを頂く。
網走駅前発、15時台のバスでウトロに向かう。
ウトロの国設野営場でキャンプする。
テント設営していると各人なぜかスズメバチに追われる。キャンプ場近くの温泉に入りに行く。露天風呂で、オホーツク海に沈む夕日を見ながら入浴する。いいお湯だった。
19時すぎ、バイクで矢崎が到着。

8月22日,23日
ウトロ国設野営場にて台風11号通過待

22日 午前中、明石は知床自然センターへ片道一時間ほど歩いて行く。
熊の情報を得ることはできなかった。木下小屋で登山者からの情報を聞いて下さい、とのこと。
夜から風が強まる。強風に耐えられず、4人テントのフライが破れ、天井ポールが折れる。

23日朝から、雨が強くなる。雨がテントを通過して浸入する。
テント内、浸水。食器で水出しする。すくっても、すくっても、すぐに溜まるので、諦める。テント内から外をのぞくと、大木が落ちていた。
午後には空が晴れてきた。どうやら、台風直撃はまぬがれたようだ。
テント内のあらゆる物を乾かす。折れたポールは予備ポールで補修する。裂けたフライは乾いてから、布テープで張り合わせる。
夕方。藤原がウトロのスーパーで買って来た、ホッケと日本酒でささやかな宴会。小宮はキャンプした人が残していった炭火で行動食を作りはじめる。黒砂糖・薄力粉・きな粉・塩・水をアルミ食器の中でこね、網の上で焼く。試食させてもらう。お好み焼き+おはぎのような複雑な味。しかし、自分で行動食を作るところはえらい、と感心する。

オホーツク海に沈む夕日のオレンジが、反対側の空にも反射して、キャンプ場全体を包みこんでいました。

 8/24〜25:
 羅臼岳〜知円別岳 縦走

8月24日
ウトロ(バスにて移動)岩尾別温泉・木下小屋(1:30)オホーツク海展望台(1:00)弥三吉水(0:50)銀冷水(1:00)羅臼平

ウトロ温泉ターミナルから斜里バスで岩尾別温泉に行く。
岩尾別温泉で藤原・小宮・矢崎は無料露天風呂に入る。明石は木下小屋に情報を教えてもらいにいく。木下小屋のおじさんから羅臼平・二つ池ともに登山者がヒグマを目撃していると聞く。銀冷水・岩清水はともに枯れており、二つ池は虫がういていると登山者から聞いていたが、台風でどうなったかわからないとのこと。
硫黄山第一火口の雪渓は残っている、と教えてもらう。
木下小屋横の入山者名簿に記帳して、入山。
途中弥三吉水(地下水)で湧き水を汲む。銀冷水(沢の水)も先日の台風のおかげで流れていた。大沢の急なのぼりをがんばると羅臼平に到着する。羅臼平にテントを張る。羅臼岳アタックに行った矢崎が帰ってきてから、テントの外で夕飯を作る。オホーツク海に沈む夕日を見ながらキムチ丼を食べる。藤原3はおいしいと食べているが、網走コープで購入したキムチには、白菜の代わりに黄色いたくあんがたくさんはいっており、明石5はだまされた気分になる。この夜は平和に就寝。

8月25日
羅臼平(1:20)サシルイ岳(1:00)オッカバケ岳(0:50)二つ池(0:50)南岳頂上(1:00)知円別平TS

早朝羅臼平からはい松帯を登り、三ツ峰の二つのピークの間を抜けていく。
次々と峰を登りくだる。サシルイ岳とオッカバケ岳の間にある池周辺は、動物の足跡がついた道が湿地にあることや赤いナナカマドの実を成らせた木が生えていた(食痕あり)ことから、熊が出没する可能性はとても高い。恐怖感からベルをひたすら鳴らして通過。 
二つ池は満々と水を湛え、輝いていた。台風のおかげで水がとてもきれいだ。
天の恵みに感謝してポリタンに水を汲む。天気がよく気持ちが良いので池のほとりでしばしお昼寝。
硫黄山第一火口のキャンプ地でテントを張ると、明日の行動に時間がかかるのでテント場を捜しながら進む。南岳から少し進んだところにガレ地でテントがはれそうな平らな場所を見つける。藤原3・矢崎に先に進んでテント場を捜してもらう。明石5・小宮は待つ。藤原3によると、東岳方面の稜線は風がきつく吹きさらしなので、知円別岳手前、知円別平のほうが良いそうだ。地面に、コケモモ(赤―すっぱい)・クロマメノキ(青―とても美味)・ガンコウラン(黒―食べられぬ味ではない)の実がたくさん成っている場所でテントを張る。周辺には動物がかじった跡のあるナナカマドの実がある。いかにも熊が出そうな雰囲気。
明石5、第一火口の雪渓へ、水汲みのため出発。テントサイトでは、残りのメンバーで二つ池で汲んだ水・昨日汲んだ弥三吉水(地下水)の煮沸をすることに。第一火口への降り口はよくわからない。とにかく、急なガレを下り、真っ白で綺麗な雪渓目指してトラバース。雪渓の真下に移動する。雪渓から溶けて流れた水があつまり、小川になっていた。水を汲む。再びガレをのぼり、火口から這い上がろうとがんばる。足元の石のなかには軽石でふわふわと動く物も多い。斜面が急で、白い砂地にキックステップで登ると案外有効だった。(夏合宿で練習したことが思わぬところで役立ったと、ひとり感心しました。)
外で夕飯をつくる。具であるミックスベジタブルが腐りかけの中華丼。一同無言で食べる。国後の山々が望めるテントサイトでゆっくりと日が暮れていくのを感じた。
(―この日の晩、恐ろしいことが、起こるなどとは、この時、考えもつかなかった。)

あたりが闇に包まれる。全員シュラフに入り就寝。
−そとでガサガサと草が擦れる音がする。獣くさい匂いが鼻につく。
テントの周りをがさがさと動く気配。近くに何かが居る。―まさか。こういう状況の時、どうすればよいのかわからない。明石5は他のメンバーを起こす。藤原3が起きていた。人間の存在を知らせるために鈴を鳴らす。(―もう、向こうは匂いで人間が居ることを知っていたかもしれない。)藤原3は、相手を刺激しないようにライトは照らさず、果敢にも、テントの外をのぞいている。何も居ないと言う。小宮は、切羽詰った状況でも、呑気だ。藤原3がテントの外に出ていたためガサガサ音がしていたと思ったと、言う。
カラオケ大会開催。歌詞はまちがっていようといまいと、お構いなし。
とにかく歌う。自ら進んで話をする・もしくは歌うタイプのメンバーは、この4人のなかには居ない。沈黙をこよなく愛する人ばかりが集まっている。しかし、この危険と隣り合わせな状況での沈黙はおそろしい。明石5は必死に話題を各人に振るが話が弾まないーどころか会話にもならない。話・歌を迫られ、困った藤原3は、携帯の着信メロデイーを流し始めた。夜中12時頃まで電子音が流れていた。
その後、朝まで、明石5・藤原3が、時々起きては、鈴を鳴らしていた。

朝、テント入り口前の登山道には、赤いナナカマドの実が落ちており、人間にしては潜り過ぎている足跡が砂地に付いていた。

 8/26〜27:
 東岳〜ルシャ山 藪漕ぎ

8月26日
TS 5:20〜東岳・硫黄山分岐5:40〜東岳6:05〜東岳先の稜線からはい松帯へ7:00〜沢末端(標高約900m)12:30〜ルシャ山ピーク13:30

全員寝不足。藤原3は、寝不足のため体調が良くないと言う。
東岳まで、道がついていた。東岳から先の標高1502mを越えたあたりから東方向のはいまつ帯へ下降を開始する。道を切り開いた後があった。赤いテープなどもある。予想外にも人間が入った形跡がある。2万5千分の1地形図の町の境界線と重なる岩(崖)を目印にコンパスを合わせて進む。はい松帯のなかでは、はい松の木の上に乗り、周辺の地形を観察できればよいが、最終的にはコンパスの指す方向を信じるほかない。
赤テープ通りにはい松帯をどんどん下っていくと、小さな沢に出た。
明石5のコンパスの方向は沢沿いを指しているのだが、トップ小宮が下りすぎていると言い、このまま沢沿いに進むとポンルシャ川に出るかもしれないと皆考えた。そこで、沢から尾根へとトラバースを開始。ここで初めて、知床の這い松(名前とは違い、地面を這ってはいない。実際は30度位立っている。本州のハイ松と同じ名前で呼ばれるのは、知床のハイマツに対して失礼きわまりない。どう見ても違う植物だ。違う名前を付けるべきだ。学名Pinis pumila Regal 英名 Japanese stone pine)のおそろしさを体験。ハイマツを漕ぎ進む。ハイマツの上に乗り、周辺の地形確認。1228mらしきピークが進んでいる方向に見える。
コンパスの指す方向(ルシャ山)と、進んでいる方向に大きなズレが生じている。
明石5は修正すべく、コンパスの指す方向へハイマツ帯を下り始める。しばらく下ると、湿原に出た。沢筋がコンパスの指す方向沿いにあることから、無駄にハイマツ漕ぎトラバースをしたこと・標高850mあたりから沢に入りポンルシャ川に迷い下る事態が起こりうる程は、ハイマツ帯を下りきっていなかったことに気づく。コンパスを信じ、小さな沢沿いに進めば良かったのだ。苦戦は徒労に終わったのだ。
ハイマツ漕ぎに疲れたので、とりあえず石の上で休憩。小雨が降ってきた。小さな沢沿いの大きな石の上を歩く。エゾコザクラの群落発見。明石5、高山植物なんて、と思っていたが、人間の手に触れられていないたくさんの花たちにひととき和む。沢沿いの苔むした岩の上を、コケながら歩き続ける。
沢の行き止まりに、TRWV(大学ワンゲルらしい)のポリタンと麻袋が紐で吊ってある。
そこから左へミヤマハンノキを経てハイマツ帯に入る。ルシャ山が見える。もうすぐだ。ハイ松漕ぎにはかわりないのだが、なんとなく人が通った跡がある。ハイマツ漕ぎを始めて1時間程で今日の目的地ルシャ山のピークに到着。
ルシャ山のピークは4人テントが一張りぎりぎり張れるスペースがある。
テントを張らずに外で休憩していたら、臭さでやたらとアブが寄ってくる。虫を避けるため、テントを張り(入口は防虫ネット利用)、中で休むことにする。
今晩のメニューは水節約のためドライカレー。狭いテン場なので、全員外に出て食べることは不可能。調理は外で行い、テントの中で食事する。明日の行動中飲料水は一人あたり1.5L弱。
夜がやってくる。今晩はラジオを流して寝ることに。ハイマツに囲まれたテントサイト。ラジオの音が役立っていることを信じて就寝。
なにごとも無く静かに夜がすぎていった。

8月27日
ルシャ山4:30〜ルサ乗越し17:30

ルシャ山から東に見える小さなピークにコンパスをあわせ出発。ハイマツ帯を下り、背丈以上の笹藪を掻き分け進む。コンパスだけが頼りだ。こういう状況ではセカンドはトップに方向のズレを指摘する役割を果たすべきだが、このパーテイー内でこの時点でなされていたかは疑問だ。平らな笹地を経て目標のピークが見えてきた。明石5、藤原3にトップを交代。
再びハイマツ漕ぎをして小さなピークに到着。方向確認をする。
目標物標高564m崖にすることにしてコンパスを合わせる。藤原3、矢崎にトップ交代。笹薮のなかに広葉樹が時折混じる。笹を掻き分け、木をまたいだり、くぐり進む。右側が崖になり、ハイマツ帯が見えてきたので564m付近に到着したことがわかる。地形図の植物の表記が正確で助かる。最初に調べた人はえらいと思う。ここで矢崎、小宮にトップ交代。
ハイマツ帯のなかを下り進む。再び、笹藪・広葉樹帯となる。笹を掻き分け進む。平坦な笹薮になり、前面が開けてきた。標高451m手前の平坦な場所にいることがわかる。すぐ右側に、ルサ乗り越しへと至る尾根を確認。小宮、明石5にトップ交代。
このまま笹野原をくだり続けると尾根へのトラバースが難しくなると考え、すぐさまトラバース開始。笹を掻き分けトラバースしていくと、簡単に尾根に取り付くことが出来た。
尾根上は、小さい笹群落、大きい笹群落、笹薮の繰り返しだった。笹薮漕ぎを交代でする。獣の通った跡や、笹が押し倒れていることから笹のなかを寝床にした跡があった。矢崎は鹿の角を拾ってよろこんでいたが、獲物の匂いに敏感な熊が寄ってくるかもしれず、危険な行為だ。明石5、矢崎に注意するが、聞かず、鹿の角をザックにつけて持ち歩く。 
ルサ乗り越し手前笹薮の登りで藤原3体調不良を訴える。藤原3をラストにするが遅れ気味となる。休憩をとる。ばてているのが明らかにわかるが、あとひとふんばりしてもらう。ルサ乗り越しに着いたのは、17時半だった。
笹藪の中にテントを張る。足の痛い矢崎と体調が悪い藤原3を残し、明石5・小宮で水汲みに出かける。背丈以上のハイマツ漕ぎを強いられる。そのうち背丈以上の笹藪に変わり、テントサイトから15分も下らない内に川発見。尾根上から沢は見えていたし、すぐ下は川とわかっていたのだが、水を見つけた嬉しさが込み上げる。単純だが、藪のなかを進んできた2日間―かなりうれしい。明石5、小宮は顔を見合わせて喜んだ。嬉々として水汲みをする。
ササの上で安定感が悪い中、藤原3・矢崎が調理。豚汁にもちを入れて食べる。もちはカビがはえていたため、ナイフで削る。山行前にお腹を壊していた矢崎は不満気だった。藤原3は煮沸していない水を飲もうとし始めたので、明石5は怒る。水の制限が苦しかったようだ。紅茶は大鍋で大量に沸かして各人飲みたいだけ飲む。今晩もラジオをつけて寝る。

 8/28:
 ルシャ川下降―オホーツク海岸(ヒグマと接近)

8月28日
ルサ乗り越し5:20〜ルシャ川6:00〜河口11:00

ルシャ川を下る。とても平坦な川だった。川の岩肌が色鮮やかで驚いた。大きなイワナが群れをなして泳いでいた。行程としては単調だが、美しい場所だ。下っていくうちに雨が激しくなる。途中、内臓をえぐられた魚が落ちていた。(熊はグルメで魚の内臓だけ食べてあとは捨てるという話を人から聞いていたが、どうやら本当のようだ。)川幅が広くなり、コンクリートの塀が川の中に現われ、林道に入る。ルシャ川での川魚禁漁の看板が立っていた。
林道を歩いていくと海岸が見えてきた。山から下りて来てしまったのだ。
ルシャ川の対岸にシカが群れで居り、みんな揃ってこちらを見ていた。海岸に目を移すと親子熊(親1子2)がいた。海岸からルシャ川を通って山に帰ろうとしている様子。林道を横切って川に行こうとして、海側に急いで戻る。車が1台知床大橋方面から走ってきたのだった。車の人は車内からフラッシュをたいてヒグマを写真撮影した。私達は熊とすぐ近くで同じ空間にいるので、相手を刺激するようなことはやめてほしいと思った。車は知床大橋方面へ帰っていった。親子熊は、人間を避けて、私達のいる場所とは反対側の川岸を歩いていった。
海岸沿いの林道を歩く。コタキ川河口にテントを張りたかったのだが、コタキの河口には熊がたくさん(5、6頭)いたので怖くて近づけない。様子を見ていたが、なかなか山に帰りそうもないので、林道沿いにテントを張ることにする。
14時頃、雨もだいぶ止んできたので、明石5が水汲みに行こうとテントの外に出る。波うち際で2頭の小熊が楽しそうに遊んでいる光景が視界に入る。あきらめる。くまさんがおやまにかえってくれるのを待つ。熊が居ないスキを狙い、うたをうたいながら水汲みへ。コタキ川は濁流となり、ゴウゴウと音をたてて海へと流れこんでいた。茶色い水を汲む。水汲み中も歌をうたうことは忘れない。
夕方、雨もやみ、テントのそとで物を干したり(オホーツク海が目の前にあるわけで、湿気が多く気温も低いので乾きませんが。)、くつろぐ。矢崎は釣をしようと出かける。矢崎はコタキ川の近くに行くが、熊が川から降りてきたことを藤原3に知らされる。矢崎、テント場へと戻ってくるが、熊もついてくる。熊は海岸沿いの林道を歩き、テントに向かってくる様子。なすすべもないが、とにかく全員テントの外へ出る。熊はやってきた。4人の人間は、テントの横に一列に並んで、1頭の熊を固唾を飲んで見守った。熊の方は、そんな人間共を一瞥もせず、林道をルシャ川の方へゆっくりと歩いていった。
この日の晩、ラジオをつけて眠るが、熊への恐怖感から、ラジオが信じられず、眠れない。

 8/29〜31:
 コタキ川遡行〜稜線・藪漕ぎ〜知床沼〜海岸

8月29日
海岸沿い林道TS 5:20〜コタキ川・テッパンベツ川二俣6:30〜標高240m付近2俣9:30〜標高350m付近二俣TS 11:20

再び、入山開始。河口から二俣を左に入るまで、熊2頭に出会う。
1頭は川の向こう岸に居り、川を渡ろうとして、私達に気づき、引き返していった。案外、人間が怖いのかもしれないなどとのんきに考えていたら、直後に出会った熊は、(小宮によると)後をついてきたらしい。ラスト明石5は、走り出しそうな自分を抑えつつ、怖くて振り返れなかった。知円別平のテントのなかで矢崎から4番まで歌詞のレクチャーをうけた森のくまさんを思い出す。―くまさんが・くまさんが・あとから・あとから・ついてくる・―藤原3が「くまさんにあとをつけられた少女の気持ちは。」と、言っていた。少女の気持ちを知りたい。

コタキ川を遡行。焚き火のあとがあったり、巻き道がしっかりと付いていることから結構人が入っていることが窺える。いくつかの滝のぼりもある。藤原3は「今日が一番楽しい」と言う。矢崎は沢靴の底が薄いらしく、昨日のルシャ川から足の痛みを訴えている。
資料(日本登山大系・他大学山岳部資料)通り、標高240m付近にテントがはれそうな場所があった。 右岸の結構長い高まき中に黄色いテープ発見。「TRWV2000」と書かれていた。昨年夏、知床に来た大学ワンゲルが残したもののようだ。

350m付近二俣でテン場をさがす。二俣右の沢側、東へ5分ほど登った小高い場所で張ることに。コタキ川右岸の岩壁が見下ろせる高さだ。連日連夜ヒグマへの恐怖に緊張いっぱいだった心を沢が癒してくれた半日だった。明日の沢から稜線への藪漕ぎに備えてはやく就寝。

8月30日
TS 4:10〜二俣4:15〜標高700m最後の滝7:10〜稜線10:40〜最後のピーク15:30〜知床沼TS 17:00

 二俣を左に進む。右手の高まき道を歩く。高まき中、平らな樹林帯のなかも通る。結構長い。登ってその高さのまま前に進んで、下りが少しで川に戻ることができた。川に戻ってからは石を登りながら、高度をかせぎながらの河原歩きで、とても単調。昨日に、危険を感じるような沢の核心部(高まき)は終わっていたようだ。
   最後の二俣の大滝、堂々としてあった。迷うことなく、二俣の大滝直前、小さな沢(水が流れていた)を見つけることができた。計画通りのルート。しかし、この先の藪の程度については未知である。沢を詰めていくと水がなくなる。
 沢を忠実に詰めると笹薮となりしんどそうなので、尾根の潅木帯に取り付く。木を掴みながらの急な登りだが、藪漕ぎよりは楽だ。この選択は正しかった。標高1000mあたりの岩が左手に見えてきて、潅木からハイマツ帯に変わる。ハイマツをこいで登っていく。東方向へとハイマツ漕ぎを1時間も経たないうちに、周りが開けた。ガスで視界はないが、稜線にでたようだ。
   標高1060mの小さな池を通過。トップ矢崎は1159mピークを目指してか東へ漕いで進む。かなりしんどい。一時、ガスが晴れたので、全員で現在地確認。ハイマツの幹の上に立って、地形を観察する。1182mピークが目の前に、左手には知床岳岩壁が見える。進む方向を変え、1181mピークと知床岳の間のコルを目指すことに。コンパスを合わせる。
   ハイマツから抜け出し、平らな湿地を通る。再び、ハイマツ漕ぎの登りが始まる。1182mピークの尾根の左側を巻くように登っていく。鉈で切った跡がいくつか見受けられる。平らな砂地に足跡つけて歩いていくと、赤布発見。池があった。
 知床小沼から知床沼までは赤テープがたくさんあった。赤テープとともに道もたくさん付いているので迷いやすい。切れたった崖のような稜線沿いを進む。雨と風が吹き付ける。しばらくは崖の稜線沿いを進み、赤布に導かれ、知床沼の方向へと下り始める。笹薮を経て、平らなところに出る。沼は暗雲の間から射すわずかな太陽の光で光っていた。池の周りは湿地なので、泥でズボズボと靴がはまる。良いテン場がなかなか見つからない。小さな植物が生えている、ハイ松の隣にテントを張ることになる。知床沼(小さい方の沼の)南西にテントを張る。
 この日の夕食は、フランスパンとシチュー。フランスパンにはカビがはえていた。カビの部分をちぎって食べる。カビに関してデリケートな矢崎はフランスパンのカビた部分をナイフで必要以上に大きく切っては捨てていた。すかさず小宮と藤原3が拾っていた。
 この日の晩、テントのなかでラジオをつけて、しゃべっていたにもかかわらず、そとでガサガサ音がする。動作のはやさから小動物・キツネではないだろうか。テントの入り口に置いていた、明石5の靴の入った青いビニール袋をテントの遠くに持っていって、ガサガサしている様子。テントの中からどんなに大きな音をたてても逃げる気配がない。この動物、'テント慣れ'している。きっと経験からビニール袋をあさればおいしいものがあると考えているのだろう。
 朝、テントから5m位離れた湿地に、明石5のかじられた重登山靴と裂けたビニールが落ちていた。藤原3の靴も同様に沼地に散乱していた。 

8月31日
知床沼5:20〜海岸11:00

 小さい方の沼から東方向に進むと、ハイ松の急な登りがある。ハイマツ藪漕ぎしんどそうなので、沼沿いに進み、大きい方の沼の横を通過する。940mピークが近くに見えてきたところで、東へとハイマツ漕ぎ開始。しばらく、ハイマツの海を漕ぎ進む。疲れてきた頃、ハイマツのなか、登山道発見。くねくね曲がっているハイマツの幹がきれいに切られている。赤テープがついている。今までと打って変わってスピードアップ。崖が右手に見えてきて、ハイマツ帯を抜けきる。崖沿いに登山道は続く。雨でぬれた道で何度も皆すべる。ロープが設けられているが、すぐ隣が崖なのでかなり怖い。崖沿いから樹林帯の尾根に入る。雨がひどく降っている。樹林帯のなかも赤テープがかなりつけてある。樹林帯の尾根を下りきったところでガレに入る。横に尖った平ら岩が敷き詰められた上を歩く。滑るし、こけると怪我しそうなガレ場を緊張しながら通過。再び、樹林帯に入り、一度支流を越える。川幅の狭いウナキベツ川を右手に見つつ、樹林帯の中を進む。樹林帯のなかではまたコンパスだけが頼りだった。ウナキベツ川左岸上部の樹林帯を歩き、72mピークに突き当たったあたりから急な下りが始まる。海がすぐ近くにあるのがわかる。樹林帯をぬけると、浜に出た。昆布干し場用にきれいに石が敷き詰めてある。番屋らしき小屋が何軒か見える。テントはどこに張ったらよいものかと考えた。
漁師さんの邪魔にならないように樹林帯近くに張ろうとしていたら、番屋の方に行っていた矢崎が帰ってきた。番屋のおばさんが小屋の横に平らな場所があるから、そこに張っていいよ、と言ってくれたそうだ。移動して木造の小屋(人は居ない)の横にテントを張らせてもらう。全員、靴も雨具もぬれている。
藤原3はやぶこぎ中に雨具のズボンの膝の部分をひどく破いていた。ズボンはゴアテックスの布と化していた。雨具下をはいていなかったため、かなり体がぬれているようで、テントの隅で震えている。小宮は冬用下着を着始めた。3年生の藤原、このとき初めて冬用下着の存在を知る。この2年半、沢も冬山も冬用下着なしで行っていたという事実に皆驚く。矢崎が自分の靴を火器で乾かしたいと言いはじめた。わがまま矢崎にはみんなの紅茶を沸かしてもらうことに。あったかい紅茶・ヨウカン・チーズを食べて、暖をとる。
夕方、雨がやんだ。明石5はウナキベツ川に水汲みに行った。番屋には人がいて生活しているという安心感が強く、熊への恐怖もやわらいでいた。ラジオをつけて就寝。

 9/1:
 観音岩〜赤岩〜知床岬 海岸歩き

9月1日
TS 5:00〜モレイウシ8:00〜カブト岩手前番屋13:20〜赤岩15:00 赤岩〜知床岬〜赤岩TS

 矢崎が番屋にお礼を言いに行く。 藤原3は風邪をひいたらしい。しかし、本人は元気に歩きはじめる。明石5・藤原3はメットに沢たび。小宮・矢崎は登山靴で海岸歩き出発。(水につかる時は沢たびが有利だった。一方で浜を歩く時はガラスや空き缶などが多く落ちていたので、沢たびの底が頼りない。それに、沢たびは、長時間歩くと、足の先が痛くなる。)
 海岸沿いの岩の下をくぐったり、トラバースしたり、初めて味わう感覚を楽しむ。たくさんホールドがあるのでトラバースは比較的簡単。台風通過の影響をうけてか、浜には大量の昆布・海草が打ち上げられていた。小宮ザックに昆布をはさんで乾燥させるらしい。矢崎、なまのコンブをかじっている。明石5は矢崎においしいか尋ねたところ、答えたのは小宮だった。「おいしかったよ。」と。補助ロープのある岩を登ると、モレイウシ川のある月のように美しく湾曲した浜が見下ろせた。釣り人もたくさんいる様子。岩の高まきは危ないので、明石5は矢崎・小宮にもメットの着用を求める。モレイウシ川近くに釣り人が釣ったらしい、おおきなマスが置いてあった。矢崎と小宮はこのマスの前でじっと止って動かなくなった。トップの藤原3は、そんな先輩達の様子にきづかず、どんどん先に進んでいく。藤原3との距離が離れる。釣り人のてまえでもあり、はずかしいので、ラスト明石5は早く行くように怒った。(内心おかしくてたまらなかったのだが。)
 念仏岩は急な登りだった。下りもロープが設けられており、岩を懸垂しているようだった。キツネに出会う。
 カブト岩では、波うち際の岩を通過しようと試みるが、途中で海になって泳がねば通過できない。引き返す。岩を登って、急な草つきにとりつく。引き返した場所の上に出た。下に降りようと考えたが藤原3が偵察の結果、無理そうなので、さらに上に登ると、樹林帯の巻き道に出た。どうやら、番屋のすぐ横から巻き道がついていたようだ。巻き道を進むと、草原にでた。海には船がうかんでいる。良い眺めだ。この草原から恐ろしく長い懸垂のような下りが始まる。真下に海岸があり、そこまでロープをつかみながらの急な下りが続く。一人づつ下る。金属のアンカーが地面に打たれ、ロープが張られている。下にたどりつくまでに、何本ものロープが張ってあった。カブト岩から赤岩までは何事もなく浜を歩いていく。空き缶、空き瓶、靴、鍋、しょうゆなどあらゆる生活ゴミが目に付く。(国後から流れたものではない。ロシア語らしき字の書かれたものは袋を一つ見たぐらいだ。)小宮、矢崎はとてもうれしそうだ。矢崎はしょうゆを拾っていた。小宮は空き缶を拾っていた。転落したのか、襲われたのか、シカの死骸が落ちていた。
 アカイワ川を横切り、赤岩到着。赤岩で、漁師さんに相泊までの船がないか、聞いた。親切な方で、無線で相泊のライダーハウスのおじさんに頼んでくれることに。このまま岬まで行ってテントを張ろうと考えていたのだが、岬は国立公園特別保護地域ということでやめといたほうがよいとおばさんに言われ、番屋の横に張らせてもらうことになる。
 テントに荷物を置いて、ライトを持って出発。浜を歩いていく。最後、急な数mの登りで、台地状の岬に出た。ススキやササの草地が広がっている。その先には日本ではない国が遠くにつながる海。後ろのは国後島も見える。感動。「来てよかった」、と藤原3は言う。ほんと、感動。このときの気持ちはなんと表現していいのかわからない。カモメが目線と同じ高さで飛び交っている。
 シレトク「地の果て」・「大地の行きづまり」は、意外にも、明るい場所だった。オホーツク海に夕日が沈んでいく。灯台、夫婦岩、オホーツク海をバックに記念撮影。岬で感動に浸っていると、男の人がこちらに向かってくる。岬で人に会うとは。しかもタダモノではなかった。小樽から出発して知床岬まで北海道横断して歩いてきたそうだ。
 赤岩に戻る。番屋のおばさんが呼んでいる。矢崎が黄色いかごをさげて帰ってきた。マスを二匹まるごとくださった。内臓は取り除かれていた。番屋の水場と包丁を借りて、矢崎に切って貰う。今日は豚汁の予定だったのだが、今晩の主役はマスになり豚汁用だった味噌で煮ることになる。豚汁用の乾燥野菜もマスの味噌汁の中にいれたいと矢崎は主張する。それではくさりかけの豚ぺミカンだけが残されることになるので、「豚がかわいそう。マスはマスだけでおいしいはず。」、と明石5が言うと、譲らない矢崎は「マスがかわいそう。」と言う。お互いに食材をかばいあう、不毛なけんかがはじまる。明石5が「灰汁をとろう」と言うと、矢崎は「(山で)豚汁のあくは取らないじゃないか」と反論。(矢崎は魚料理への想い入れが強いのではなかったのか?)
 矢崎の強い要望でご飯を炊くことになる。魚が煮えて各々の食器に取り分けが終わった頃、藤原3が飯炊きをはじめさせられていた。
 マスはとてもおいしかった。しかし、マスは、もっと純粋な気持ちでおいしいおいしいと言われて食べられたかったろうに。すまない。
 マスを煮た汁で豚汁を作っていると、岬で出会った男の人がテントに遊びにやってきた。
 海岸歩きの途中でテントを紛失し、赤岩で番屋の方の親切で、漁の手伝いをしながら番屋にお世話になっているとのこと。コンブ干しの作業は手間がかかるものだという話を聞く。頂いたマスは定置網にかかったもので和私達のためにわざわざ捕ってきてくださったのだそうだ。
 4人天に5人、きゅうきゅう詰めで話をしていると、テントにネズミが飛び込んできた。
外に追い返しても再び侵入。人間を恐れていないらしい。
 この日の夜中、ネズミはダンロップ4人用テント本体をかじって侵入。腐りかけの豚ぺミカンをかじる。
 朝起きたらテントにポッカリと穴があいていた。恐るべし赤岩のネズミ。

9月2日
赤岩〜相泊〜羅臼

 朝、番屋の前に、漁に出た船が大量のコンブを乗せて帰ってきていた。明石5は浜にあがったコンブを干す作業を手伝わせてもらう。おばさんが手際よくコブの根を切っていく。根の部分が切られたコンブをパチンコ(はさみ)でとめていく作業を居候の男の人に教えてもらい、手伝う。小宮もやってきて作業する。パチンコではさまれたコンブは乾燥室へ運ばれていった。小屋の天井から干すのだそうだ。番屋の近くで一晩中聞こえるモーターの回転音は、コンブを乾燥させるものだったことがわかる。
パチンコはさみが終わると、今度は包丁でコンブの根の部分から根っこを切り、茎を残す作業をする。薬に使われ高値で引き取られるのだと、話をうかがった。
小宮はおばさんにこの根が食べれるかどうか聞いていた。小学生も学校行事で岬まで歩いてくる話や赤岩の番屋にやってきた色んな人の話、隣の小屋に住んでいる自給自足一人暮らしのおばさんはこの春に熊と出会ってシャベルを振りかざして戦った話(熊はおばさんと睨み合いをした後、自分からどこかへ去っていった)と、楽しくおばさんの話を聞きながらの作業だった。この作業が終わる頃に藤原3がやってきた。りんご缶ジュースをもらった。番屋に招かれる。朝食前に漁に出たそうで、おばさんは朝ご飯を作り始める。朝食にも誘われたが断り、コーヒーをご馳走になる。結局、すすめられてご飯もいただいた。帰りにと、たくさんの飴とガムを頂いた。すっかりお世話になってしまった。
岬で出会った男の人は歩いて帰ると、出発していった。
茶色いオジロワシが優雅に海を飛びさっていった。
息子さんが相泊と無線交信され、8時ころ赤岩に船が来ることを教えてもらう。しばらくして、波が高くて船を出せないという連絡がはいる。息子さんが波がおさまったら相泊まで船を出してくれると言ってくださる。赤岩で一日船を待つか、海岸を歩いて相泊に行くか、決めなくてはならなくなった。藤原3が足の痛みを訴えているので、船を待つことにする。
矢崎はどうしても今日中に相泊に行かねばならないと言い始める。
ひとりで浜を歩いて帰ると言ってきかない。
確かに待っても波がおさまらず船は来ないかもしれないとは思う。
藤原3に足のテーピングをしてもらい、海岸の途中でもう一日過ごすつもりでゆっくりと歩いて帰ることにする。矢崎は今日中に相泊に着くことに固執し、藤原3テーピング中に、ひとりで出発しようとする。明石5が怒ってとめるが、矢崎は聞かない。矢崎はひとりで出発していった。皆の力でここまでやってきたのに、そのことに気づかぬ矢崎の身勝手で無神経な行動はとてもショックだった。
  お世話になったおばさんと漁師の息子さんに別れを告げ、明石5・藤原3・小宮で赤岩を出発。3人の歩く速さが違うので、休憩地を決めて集合しながら、各々の速さで歩く。女滝で休憩。紅茶とビーフンを作り食べた。
波は高いが、天気が良く海が輝いていた。滝川に5・6人の釣り人がいた。藤原3は釣り人から船が迎えにくるという話を聞く。藤原3は頼んで船に乗せてもらうため残ると言う。先に行く小宮を呼ぶ。相談の結果、藤原3ひとり残していくのは不安なので、明石5も残ることになる。小宮にビバーク用装備と食糧を分ける。
 13時・小宮、滝川を出発。
 釣り人の後について、滝ノ下に戻る。
 漁師さんに人間2人乗れる余裕があるか頼んでみると、快く乗せてくれた。13時45分出発。
 小さな船は大変上下によく揺れた。高波が怖い明石5は泣きそうだった。釣り人はたくさんマスが連れたと満足そうだった。海岸を見る余裕ははじめはなかったが、段段と揺れになれてきた。小宮・矢崎の姿が船から見えた。
 14時15分相泊港着。漁師さんは君たちはいいと無料で乗せてくれた。同船した釣り人にマスを見せてもらった。ふくろいっぱいマスだった。釣れすぎて海に帰したそうだ。
 ヒッチハイクがあまり好きでない藤原3・明石5は林道を歩く。岩見橋からバスに乗るつもりで歩いた。17時に岩見橋に着く。時刻表をよく見ると17時台は平日にしか運行していない。今日は運悪く日曜日。バス停のまえでうずくまる。気を取り直し、歩けばいつかは羅臼につくさと、歩き始める。
 荷台付き車がとまる。驚くことに矢崎が乗っている。
船に乗せてくれた漁師さんの車だった。熊撃ち・トド撃ち・漁と色んなことをされている方だった。漁師さんに羅臼のバスターミナルまで送っていただいた。お世話になった。矢崎は知床林道方面に歩いていく。
 明石5・藤原3はバスターミナルにテントを張らせてもらう。
 矢崎がウトロに置いていたバイクに乗ってバスターミナルに現われる。
 小宮は相泊からヒッチハイクして中標津にいることがメールの連絡でわかる。
 次の日、明石5はウトロのロッカーに立ち寄り、斜里駅でステビバ。藤原3は稚内目指して電車を乗り継ぎ移動する。矢崎はバイクでどこかに走っていった。


*感想・反省*

毎日、ワクワクした。94年に知床に行っていた入江さんからのアドバイス通り、基本的な技術の積み重ねが必要な、総合力が試される山行だった。藤原3が「山の幅(ジャンル?)がひろがった。」と、言っていた。まさにそんな気がするし、藪漕ぎのルート等、未知(資料では窺い知れない部分)のことが多かったため、全行程無事終了出来たことはたいへん嬉しい。

食糧反省:長期にわたる食糧計画で、ぺミカンが腐ったり、餅やフランスパンがカビたりと、もうすこし気を使えばよかったと反省している。水の制限があるメニューでのドライカレーのもとやビーフンは役立った。

装備反省:大鍋上部に小さな穴が開いていたことは山行中、水を入れて初めてわかったのだが、装備は鍋にいたるまできちんとチェックするべきだった。

台風で四人テントの天井ポールが折れた時、予備ポールが修理に役立った。

予備ポールは長期の山行の場合必ず持っていくべきだと思う。

装備分けに偏りがあった。重さの個人差が大きかったのでは。

燃料や食糧が減ったり、雨でテントが重くなることを考え、もっと綿密に計画してほしかった

ザイル・ハーケン・ハンマーは結果的には使用しなかった。

池の水を汲むことからコーヒーフィルターをゴミろ過用に持っていったのだが、台風通過後だったので水がきれいで使わなかった。(すべての水を煮沸して使用)


  最後になりましたが、今山行中お世話になった方々に心から感謝します。

  知恵を頂いた先輩方、登山本部を引き受けてくれた大西君、に感謝します

  岬にたどりつかせてくれた山の神様に感謝します。

 参考資料

  94年神大8月 

  96年同志社8月30日から9月9日 

  97年北大8月4日から8月15日

  日本登山大系  

  北海道の花 鮫島淳一郎ら 北海道大学図書刊行会

  北海道樹木図鑑 佐藤孝夫 亜璃西社

  松浦武四郎知床紀行集

  斜里町立知床博物館 郷土学習シリーズ