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アイゼン合宿・御岳山


2000年 3月15日~20日
CL小宮 明石 大西 藤原



3/15 晴のち曇 

御岳ロープーウェー飯森駅10:15-ニノ池BC16:00

 木曽福島駅前に張ったテントを撤収し,バスで御岳ロープーウェースキー場に行き, ロープーウェーに乗って飯森駅に行く。
 歩き始めるとすぐにワカンを付けた。ひざより下の楽なラッセルだ。登山道沿いに行くことにしていたが,実際には金剛堂の1本北の尾根を歩いていた。森林限界を越えると風がきつくなり始め,寒い。金剛堂よりも少し標高の高いところでワカンをアイゼンにかえたが少し早かった。ときどき足が潜ってしまう。早々と尾根に上がった小宮と遅くまで斜面をラッセルしていた明石,藤原,大西が小屋の見える急登の手前の2740m付近で合流して一服。3人ともかなり疲れていた。
 覚明堂の近くで大西は足下を滑らして,しばらく頭が調子悪くなかなか立ち上がれなかった。荷物が重いのと高山病の一種かもしれない。
 ニノ池小屋本館の南側にテントを張った。この場所がちょうど小屋の吹き溜まりの近くだったので後でテントラッセルに苦労することになった。もう少し北西の風の強いところにすれば良かったのかもしれない。

3/16 吹雪

沈殿

 断熱マットを忘れた小宮はザックを敷いて寝たので寒くはなかった。
 二つ玉低気圧が直撃した。風が強くガスっている。ヘルメットが小宮のもの以外全て飛ばされたので継母岳には行かないことにした。
 テントの足下に落ちてしまっていたので藤原の眼鏡の片方のレンズがとれてしまい,付けてもすぐに外れてしまう。ガムテープなども湿っていて付かなかった。眼鏡がないとほとんど見えていないので、雪練で様子を見ることにした。
 雪が激しく降り,昼頃は暖かく湿った雪だった。前線が通過したのだろうか。低気圧が通過したら晴れるだろうと思っていたが,晴れなかった。低気圧が合体してひとつになり970ヘクトパスカルとなって強くなり,速度が遅くなったからと次の日の天気図を見てわかった。
 テントラッセルをしている小宮は途中で小便をして薄い手袋になった後,また上に手袋をし,テントラッセルをしていたら、手指が痛くなった。
 夜中に明石に起こされ小宮・藤原・明石と交代でテントラッセル。2時半まで藤原はテントラッセルをした。腰が痛かった。

3/17 吹雪

沈殿

 寒かったので朝起きると大西は足が赤くなっていたらしい。
 テントラッセル。明石のオーバーミトンの内側に雪が入ってしまい,カチカチに凍った。
 小宮の持ってきた味噌の雑煮は味噌が発酵しきっていた。

3/18 快晴

雪練8:50‐16:00 途中剣が峰へピストン(13:30)     見上:飯森駅9:30‐13:30BC 

 雪練をするためにBCから西に歩いていると湖面に埋まった赤い物体を発見。それは藤原のメットであった。キックステップでなんとか登れる程度の雪の固さの斜面で雪練。アイゼン歩行(直登・斜登下降,トラバース)アイゼンで歩きながらの緊急停止,ストップ,アイゼンをつけてのストップをした。アイゼン歩行中,藤原のアイゼンバンドが切れてしまった。部室にあった古いのを使っていた。バンドの替えを誰ももってきていなかった。また,大西・明石はヘルメットがなかったので,アイゼンをつけた速度の早い滑落停止の練習をあまりしなかった。
 場所を少し南に移し,スタンディング・アックス・ビレイの練習をした。足場を右と左で2箇所を練習だから,藤原に作らせたり落ち役をしたくないのにさせられかけて藤原は怒っていた。大西の練習の落ち役を藤原が「したくない」と言ったのに,下の小宮は聞こえておらず藤原に「やって」と頼んでしまったからだ。メットを持っているのは小宮と藤原だけなので大西の練習の落ち役は体重の近い明石に小宮のメットを貸してしてもらった。明石の練習は左右3回ずつぐらいで終わった。
 天気がいいので剣が峰に行き記念撮影。煙が出ているのを藤原は全く見えていない。BCに見上さん(OB)がいるのが見える。BCに戻り,休息。
 生き埋めとビーコン探しをした。生まれて始めて小宮・大西・藤原は雪の中に埋められた。助け出された時は嬉しかったが,雪崩に巻き込まれて埋まるとまず自力では這い出せないだろうと感じた。ビーコン捜しは二組に分かれ,ニノ池のどこかに隠したのを捜した。範囲が広かったので手分けして捜したのだが,2人中1人のビーコンにしかほとんど反応しないまま見つかった。10分から15分で2回とも見つかった。

3/19 曇り

BC8:00-継子岳-BC12:00

 曇りなので眼鏡の壊れた藤原は行かないことにする。藤原の装備のツェルトと赤旗を見上さんに持っていただき,サイノ河原の赤旗を打つのと回収までしてもらった。赤旗はニノ池新館から白竜荘まで約50m間隔で打った。ラウンド中明石のアイゼンが6-7回外れた。ワンタッチアイゼンで,靴がすり減っておりサイズも小さいのでピッタリとあわず補助バンドをしても力がかかるとすぐ外れてしまった。
 飛騨頂上の避難小屋が去年改築されていて新しくなっていた。四ノ池の東稜線の登りは想像以上にきつかった。明石のアイゼンをつける間,継子岳の東のケルンを回りこもうとした小宮は雪がカチカチなので滑落しかけた。スキー場が見え,人の滑るのが小さく見えた。四ノ池の雪庇は全然発達していなかった。摩利支天山を登り始める頃からガスが濃くなり,サイノ河原では赤旗が大いに役立った。サイノ河原では雷鳥を見つけた大西がここぞとばかりに2-3mに接近して写真を撮った。天敵がいないからか警戒心が薄いのだが,保護色をしていて真っ白だった。
 BCに早くついたので暴風壁を作った。見上さんのアイゼンバンドをもらい藤原のアイゼンに付けた。
 夜,大西の歌声とともに眠った。小宮は頭が痛かったが横になると直った。
 夜中,見上さんと明石,藤原はテントラッセルをした。

3/20 吹雪のち晴れ

BC12:00 - 一の又小屋と飯森小屋の間の稜線15:30 - スキー場下17:00

 朝起きるとガスっており,天気予報によると午後から晴れるそうなので待つことにする。テントラッセルを交代でした。テントで待っている間,靴の中が冷えて足が冷たかった。小宮はかえの手袋を持ってきていなかったので失敗したと感じた。
 晴れてきたのでテントを撤収した。ポールの接合部に保革クリームをあまり塗っていなかったので凍り付いていてなかなか折りたたむことができなかった。
 下りは2740m付近から覚明堂までの間の稜線歩きで,強風にさらされてなかなか進めなかった。
 登った尾根から下るか夏の登山道から下るか,どちらでもいいだろうと思って金剛堂まで来てしまい,結局夏道から下った。傾斜のきつい所から一の又小屋が見え,そこを目指していたが,アイゼンからワカンにはきかえて,下り過ぎてしまった。コンパスを使いながら下っていたらこうはならなかったのに,誰もそうしなかった。藤原はワカンアイゼンにしていた。大西のワカンは去年入江さんが使っていたもので,一本締めでないのでよく外れる。谷を越えて北の尾根にトラバースして上がろうとしたが傾斜がきつく,行きずまる。戻って直登しようとした時戻ろうとした大西が雪を踏み外し,滑落してしまった。幸い木があって止まったが,もし木がなかったら谷底に落ちていた。見上さんがピッケルをささせて足場を作らせて何とか登って来れた。
 木を伝って直登してようやく尾根に出た。明石の薬指が凍傷になっていることに歩いていて気付いたらしい。先っぽが白くなってる。凍った手袋をしていたかららしい。
 黒い電線か何かに沿って下っていると大西がおかしいと気付き,進路をスキ-場のほうに変える。飯森小屋らしき建物を背にトラバースしていったら飯森駅のすぐ下に出てきた。強風のためロープーウェーは動いておらず,歩いて下った。中央アルプスがとてもきれいに見えた。
 バス停に着いて時間を見ると16:00が最終だった。タクシーを呼ぶ。明石はスキー場のトイレのお湯で指を温めた。タクシーには大きい荷物があるということが伝わっておらず中型でなかったので荷物が落ちそうなまま木曽福島に下った。
 駅について木曽宿というところの温泉に500円で入った。駅に帰ってお土産屋さんに行ったら食堂は終了と書いてあったが,店の人がやってくれてカレーとそばを食べた。藤原の普段の食生活の、キムチの素をご飯にかける話は見上さんの心を動かし,おごってもらった。

 おわりに,若山さん,登山本部どうもありがとうございました。 (小宮)


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